|
|
本来「少女とバラ」は一輪のバラを手にしたとき、ふと幼い頃の、ちょっと切ない思い出を回想しているシーンを想像して描いたものです。 さて、これが一通り出来上がったとき、妙なことに気がつきました。 もちろん、これを描くにあたっては、私自身の脳裏に否定するまでもなく、「イレーヌ嬢」「読書」などの有名な絵画のイメージが取り込まれていることは、ご覧になられている皆さんも承知されていることと思います。 しかし、違和感はそれだけではありません。
この二つの絵を比較してご覧下さい。 違うのは、人物の向きだけなのです。 よくご覧になれば、印象がかなり異なることに気がつかれることと思います。 「少女とバラ」のオリジナルは、前記の通りの意図からなっています。 つまり、内省的な思いを演出するために用いたのは、照明を逆光にする、光を背にするということだけではないのです。 言い換えれば、タイプAとタイプBは、その下絵はまったく同じといってもよい筈なのに、そのコンセプトはまったく別の絵であるということになります。
この考えに納得されない方は多いと思います。 それでもよく分からないと思われる方、いったん頭の中を空白にして下記のイメージを想像してみて下さい。 明日を夢見る少年が、緑の茂る大きな樹の下で青空を見ている。 いかがでしょうか? もっとも、このように想像されなかったからといって何かがあるわけではありません。単なる確率の問題でしかありませんので。
基本的に、これらは社会習慣から修得されたパターン的なイメージなので、これに本来意味はないと思います。 分かり易い例えを揚げれば、右利きの場合は斜線を引く時、右上・左下の方向の方が引きやすいでしょう。 しかもそれは世代を越えて蓄積・固定化されているため、ある部分では強固になっているところもあるかもしれません。 しかし一方で、潜在的な左利きの方は相当数いらっしゃいます。 また、現在では私を含め「絵の基礎素養」の無い人が絵を描き、発表する機会が増えましたので、尚更それに対する「既成概念」は薄れていると思います。
しかし一方で、例えば、多くの場合、絵のサインや広告などでの社名などは右下という場所を「安定の位置」としているのは事実です。 ですから、「そのようなものは、単なる既成概念だ」と思われるのは正論だとは思いますが、事実として我々はそのよう画像的ルールに従ったものを日常に目にしている以上、誰もがその影響を受けていることは否定できないと思います。 しかし逆に、それらを否定する「ちょっと特別な」形をとるとき、ちょっと違った印象を演出できるという結果を想像出来るわけです。 結論としては、知らないよりは知識を持っていた方が、「楽」であり、遠回りをすることなく望むイメージを想像することができるのでは、と思う次第です。
絵を描かれていらっしゃる多くの方は、まず、イメージを思い浮かべてからラフ等を描かれておられると思います。 おそらく、何となく違って見えることと思います。 「先入観」「既成概念」というものを否定したいという思いはだれしもあると思います これはタイプBを油絵風にレタッチしたものですが、多くの方がこの印象をタイプBより悪く感じられることと思います。 もともとは油絵の画風を意識して構成された絵です。構図的にはそれほど違和感は無いと思います。
私たちは、私たちが想像するすべての情報は、日常に得た様々な情報から成り立っています。 言葉で意思伝達をする場合、双方が共通の言語とその概念を共有していなければなりません。 絵のイメージの表現は「先入観」「既成概念」を否定して成り立つものではないと思います。 1999年9月20日 場次 東風 |